「技術の中島」。嬉しい手紙

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 元、中島飛行機の技術者から手紙が来た。
 拙書『中島飛行機の終戦』を読んでのものだ。嬉しかった。
 一文だけ紹介する。(無断だけど叱られないだろう)

 「戦時中の中島飛行機の社員は、良い飛行機を造る。どこにも負けない飛行機を造ることだけ考え、図面に、現品に、向き合う毎日でした。そして、終戦。私たちの造った軍用機が果たして御国のためになったのか。これでよかったのか、と考えることも、しばしばでした。多分、私の同僚たちもそう思っていたはずです」。

 「『中島飛行機の終戦』を読ませてもらい、〝技術の中島〟を評価されたようで涙が出る思いでした。富士重工の元会長、川合勇氏のコメントもよかった。何度も読み返しました」。

 長い手紙だった。想いがこもる手紙だった。
 戦後70年。70年間も〝軍用機を造った誇りと、そして罪の想い〟も。それを想い続ける技術者がいたことを、ぼくは知らなかった。

 写真は、中島の技術が造った傑作、エンジン「誉」。
 「零戦」のエンジンである。
 「誉」の高性能に「零戦」の機体性能がついていけなかった逸話もいずれしたい。
 電文「ワレニ追イツク、敵戦闘機ナシ」の世界最速機「彩雲」のエンンジも「誉」である。

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