まだ咲いている
ある歴史の勉強会に呼ばれた時のことだ。
会のリーダー的長老が会員の発表に対してことごとく否定的な意見を言う。
ぼくは会員でも当事者でもなく、同会のことは少しも分からないのだが、長老の意見は瑣末も瑣末。重箱の隅。発表者の意図とはあきらかに逸れた指摘だ。
見方を変えれば、「君らは発表などせず私の話だけ聴いていればよい」とさえ聞こえた。
見渡すと二十人ほどいる会員たちはうんざり顔。
でも、長老に逆らえない何かがあるのだろう。
ふと、自分の会を思い出す。
いつも上席に座るぼくも、そんな長老のような態度はとっていないだろうか。
自信がなくなった。
帰り道、公園を横切る。
おおかたの桜も終わり、木には若葉が爽やかに生まれている。でも、散りきれない桜も残る。
ぼんぼりも取り除かれし公園に
まだ咲いている八重の桜は
こんな歌を作って、ぷっと自分を笑った。
「散らずに粘る八重の桜は」の下句が正解と思ったからだ。
ああ晩春。