ドイツ人俘虜と桜パン
「ふるさと講座」に遠来のお客さん。校條善夫氏(めんじょう・よしお=東海女子大学文学部元教授)だ。
氏は名古屋日独協会の幹部で、「ドイツ人俘虜」の研究者。第一次大戦時に名古屋に収用されていたドイツ人俘虜の実態や業績を研究されている。
ドイツ人によって鉄道や製パンなどの技術指導がなされたのだが、その一つに、敷島製粉のパンがあった。
どうやらそのパンは「桜パン」と言われていたらしいと聞いていた校條先生は、その実体を調べようと当会を訪ねてくれたのだ。
敷島製粉=盛田善平=カブトビール=赤レンガ建物。いわば半田の郷土史そのものである。
当月のふるさと講座はタイミングもよく、「みんなに聞く昔の半田」。会場では「桜パンを探せ」で大いに盛り上がった。
「元の知多高女(現・半田商工会議所)の前の若松屋で売っていたのは知っている」。
「当時のパンは高く、一般の人の口に入るような品ではなかった」。
「敷島という社名は、敷島の大和心を人問わば朝日に匂う― の和歌からのものだろうから、『桜パン』と命名したことは容易に推測できる」。
等々なかなか実のある意見が続出。校條先生も納得顔で帰られた。
後日、敷島製粉の社名ロゴが『桜』だったことも判明。さらに一歩前進したのだ。
「みんなに聞く、昔の半田」の成功例である。