ヒロシマ
ここ十数年、まったく行っていないが、
かつて広島には再々通った。
原爆記念日も何回も行ったものだ。
このところ、平和ボケ+体力の低下+気力の低下+本当のボケ
でヒロシマを思うこともない。
今朝のテレビ。原爆記念式典で広島市長が「原爆は絶対悪」と言った。
30万人の暮らす都市の上に30万人を無差別に殺す爆弾を投げつけるのは「悪」でなければ何なんだろう。
「絶対悪」という、とても強そうな言葉が、弱弱しく感じるのはなぜだろう。
アメリカは「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だった」と言う。
すなわち「必要悪」と言うわけだ。
「絶対悪」と「必要悪」
「勝者」と「敗者」
「強者」と「弱者」
ぼくだって「敗者」になりたくない。
「弱者」にもなりたくない。
でも「悪」は選択したくない。
だから、ぼくはいつまで経っても「弱者」なのだろう。
写真は昭和20年8月中旬の広島市内。
ヒロシマになっている。
軍人も殺した。ついでに、民間の老人も女も、子ども殺した。
先生の焼死体。それに寄り添う児童の焼死体。友達に手を差し伸べるような姿の児童の焼死体。
「必要悪」だもん、仕方がない。
犬や猫? それは可哀そうだった。
でも鯨は殺してないよ。動物愛護団体がうるさいもん。