乙川祭礼2

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 知多路に春を呼ぶ乙川祭礼が3月21日(土)、22日(日)の両日行われた。21日(土)は天候に恵まれ結構な祭り日和であった。だが、22日(日)は朝から強い雨の降るあいにくの天候となってしまった。そのため、今日はもう「おくるま」は出ないであろうと思っていたら「おくるま」にカッパを掛けて「さや」から勇んで引き出された。みんなの熱意が通じたのか、日中は小降りになった。
 半田市各地では5月3日、4日の亀崎潮干祭まで春の祭りが続く。祭りは自然発生的に始まったものもあれば、何か行事を記念して行われたものが定着したものまで様々である。潮干祭の起源は戦国時代に、乙川の山車の起源は名古屋城築城までさかのぼることができるという人もいるが、はっきりした起源は分かっていない。  亀崎や乙川の祭りは本来の起源からすると、祀り(まつり)という字をあてた方がふさわしいかもしれない。祭りを英語であらわせばフェスティバルかカーニバルになってしまう。だが、日本の古くからの祭りは神事を中心に行われる。
この地区の立派な山車は神様が移動に使う神輿(みこし)のお伴というのが本来の役目である。
 乙川祭礼では最後の坂下ろしの時、南山の八幡車に八幡社の宮司が海神様の祀ってある場所まで乗って行くことを慣わしとしている。そして、祭礼が無事終了したことを報告して全ての神事が終わる。
*写真は南山の八幡車に乗る宮司

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