佐吉先生は引っ越し魔?
佐吉小伝⑩
佐吉青年は遅く来た反抗期なのか、二十歳頃に山口村の実家を飛び出して東京へ行ったり、横須賀へ行ったりしました。まだ飽き足りなくて豊橋の叔父さんち、尾張、知多の機屋(はたや)さんちでの居候も経験しました。東京浅草外千束での結婚生活は長続きせず破綻。その後は豊橋、名古屋、知多郡乙川村と次々と住む所を移しました。
発明家としてデビューした後の佐吉先生は、名古屋市内を分かっているだけで11回も転居しました。その中には今の名古屋駅前、ミッドランドビルのある場所に工場兼住居を建てたこともあったのです。
これで落ち着くかと思えた佐吉大将は本気でアメリカに住むことを考え渡米しました。その考えも一段落したように思えた佐吉大将は全員の反対を押し切り「障子を開けてみよ、外は広いぞ」と言って中国大陸は上海へと行ったのです。佐吉青年から、佐吉先生、佐吉大将まで生涯で30回を越す引っ越しをしました。ちなみに、佐吉の後半生はみんなから「大将」とか「大大将」とか呼ばれていました。
葛飾北斎は93回、ベートーヴェンは80回の引越しをしたそうである。それと較べると佐吉大将、回数は負けています。だが、片や芸術のため、片や発明のためには住居などはどこでもいいということなのでしょうか。
* 写真は、今はそのなごりもない佐吉大将の名古屋長塀町の邸宅