吉原埋め立て・・誰か教えて
写真は新吉原遊郭の絵図。明暦3年(1657)に建設され、以後、400年以上、凡そ、このままの形で残った奇跡的な町だ。
実は困っている。明暦3年の4月まで、この土地は「浅草田圃」といわれる田圃、すなわち湿地帯だった。そこを埋め立て遊郭町を造った。
田圃の様子は広重の絵で、ちょっとオーバーだが分かる。堤は日本堤。絵の左。堤の上、駕籠の上に見える屋根が遊郭の家々。
記録を辿ると、工事は、早くて同年4月末、遅ければ同年6月に着工している。そして同年8月14日に新吉原遊郭は見事! グランドオープンしている。
つまり、2~4ケ月間で埋め立てをし、営業できるだけの建物を建てたわけだ。
この土地は面積3町分、つまり9千坪である。
友人の土木技術者に訊いた。
「田圃だから3メートル以上は埋め立てが必要として、9千坪なら、約6万立方メートルの土砂が要る」。
「6万立方メートルって、どれくらい?」と訊くと、
「ダンプカーで1万2千台以上だろう」。
おお~。明暦3年にはダンプカーどころか、大八車も開発前だ。
人力しかない。
それにどこにそれだけの土砂があるのだ。
まして明暦3年は1月に江戸を全焼した大火の年。建築資材も大工も人足も大きく不足している時だ。
でも2~4ケ月で吉原は建った。
どうして出来たのだろう。
誰か教えて~!