大田皇女

ファイル 123-1.jpg

 先日、大田皇女(おおたのひめみこ)の墓が発見されたと多くのマスコミが伝えた。全く興味のない人にとっては「誰の墓?斉明天皇の孫の?天智天皇の娘の?」となると思います。私も決して詳しくはないのですが、興味だけはある時代なのです。
 大田皇女は最初の斎王となる大伯皇女、悲劇の大津皇子の母親である。また、鸕野讚良皇女(うののさらら)、後の持統天皇の同母姉でもある。しかし、大田皇女は子供達が幼い時に亡くなってしまった。歴史に「もしも」はないけれども、大田皇女が長く生きていたならば持統天皇ではなく姉の大田皇女が天皇の位に就いていたかもしれない。そして、24歳の若さで自死させられた大津皇子がその位を受け継いだかもしれない。
 皇極天皇が重祚して斉明天皇に、中大兄皇子が即位して天智天皇になるなどと言われると、「ああ、ややこしい」と思われる方が多いのではないだろうか。私も同様にややこしいと思うのですが、こんな記事や本を読む時は天皇家に関する系図を横に置いて、「なるほど、なるほど」と納得しながら読むことにしている。

* 写真は発見された大田皇女の墓らしい遺跡(産経ニュースより)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です