大高源吾は尾張・日間賀島出身
『はんだ郷土史だより』に「大高源吾は日間賀島出身」と書いたら、意外な反響がいくつかあって驚いている。
意外なことの一つは、反応の主のほとんどが学者だったということ。
氏名は抜きにするが、愛知学院大学、慶応大学、松山大学、四天王寺学園大学、武庫川女子大学の先生方から「問合せ」「確認」があった。そうそう豊橋創造大学も。
一般からはたった一件だけ。それも高校教師。
なぜ、学者ばかりが反応したのだろう。
一つは、忠臣蔵の研究者が意外に多いということ。
一つは、「源吾は尾張出身」というネタが新鮮だったということ。
もう一つは、学者という人類は、自分の研究分野で知らなかったことを突きつけられると、想像以上に闘争的になるということ。(失礼!)
<ここだけの話だが、ノンフィクションを書く者の天敵は、実は学者なのだ。司馬遼くらいになっても、司馬史観と言われ、その歴史観や分析は学者からは、敬遠・蔑視されるほどだよ。ここだけの話だよ・・笑い>
ぼくにもこんな経験がある。「柄井川柳は、実は小林一茶だった」という小説を書こうと取材を始めたが、仲の良い学者に、「君がそんなものを書いたら絶交だ!」と言われたことがあった。
仲良しだってこんなことを言う。
学者はノンフィクション作家の天敵なのだ!
さて、
いずれにしても、源吾の件の問合せの多くは「臍の緒塚」。本紙では単色の関係もあり不鮮明だったので、ここに掲載しておく。
また、上記の先生の一人が「源吾は赤穂生まれが定説だ」と主張され引き下がらなかったが、源吾の赤穂生まれを証明する「何か」をご存じの方は、ぜひお知らせ願いたい。
尾張・日間賀島には「臍の緒」があるように、赤穂にも何か証拠らしいものがあるの? と天敵に強弁したいのだ。
ご協力を。