弱者救済所まつり

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 日本初、日本最大の民営の弱者救済所が半田・鴉根の丘にできたのは明治31年のこと。そこで30年に亘り、一万五千人もの社会的弱者が保護され、救済された。

 それらは、すっかり忘れられて雑木林の中にあった数年前、半田保護司会、半田市、半田市鴉根区、はんだ郷土史研究会の四位一体で〝弱者救済所跡保存事業〟が立ち上がり、かたちになった。

 榊原亀三郎の偉業を後世に伝えようと隔年「まつり」を行うことになり、この4月10日に第2回が開催、賑やかに行われた。
 今回、半田市の藤本副市長のご提案がありがたかった。「桜の木を植えよう」。そして本日、桜が5本、『史跡公園』に植樹された。
 桜の木は、明治31年に亀三郎が救済所用地を開墾した時、記念に植えたもの。救済所にはゆかりの木である。きっと副市長はこのことを念頭に桜を提案してくれたのだと思う。

 桜を植えた亀三郎は若い衆に、「この桜の下で花見ができるようになりたいものだ。みんな! 桜は成長が早いぞ。がんばろう!」と言った。

 実は拙著『幸せの風を求めて』で、このシーン、このフレーズを書いたとき、なぜか涙が出ていた。こんな月並みなフレーズになぜ心が動くのだろう、と思っていた。

 きょう、救済所跡に桜が5本植わった。

 挨拶で壇上に立った時、「この桜の下で花見がしたいものだ」の亀三郎の言葉を引用し、桜の話をしようと思っていた。
 マイクを持って会場を見た時、藤本副市長の顔が見えた。

 ヤバい、泣いてしまう。と思って強引に別の話題にした。

 ともあれ5本、桜が植わった。ニコニコ顔で植樹式も出来た。2年後、とりあえず、この桜の下で花見がしたいものだ。

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