恩賜の短剣
戦時中の海軍兵学校を調べていたら、写真のような貴重な短剣をお持ちの方と出合った。
偶然に知り合った方ではなく、以前から親しくしていた方。そのお父様がお持ちの「恩賜の短剣」である。
これは言うまでもなく、海軍兵学校の卒業生の最優秀の人に贈られる軍刀。当時はなによりの宝物だ。
ブログに掲載の許可をとっていないので(来年には本に書く予定)、この場ではご氏名を伏せるが、
この短剣の主は兵学校在校中、3年間を通して首席だった凄い秀才だ。
兵学校時代の写真をみると、制服の襟に桜の章が。これは学年の優秀者数名のみがもらえる襟章で、「チェリーマーク」と呼ばれる兵学校生が垂涎のもの。
当時、日本の若い優秀な頭脳は、陸軍士官学校、海軍兵学校に集まっていた。
戦争、兵器、軍需を最優先に学び、研究し、研鑽していた。
そして優秀な頭脳は多くの物を作り出した。船しかり、飛行機しかり、化学品しかり。
そこで生み出された多くの製造品、発明品などは、それなりに平和利用されたものもあったが、総じては国策、国益の名の下に殺戮用品となったわけだ。
どんなものが、どのように作られ、どのように使われたたかは、70年経った今も闇の中である。
「治安維持法」という法律がこれらを厳重に保護し、これを全体主義的国家権力や「憲兵」が守ったからだ。
今、ぼくが書いていることも、今現在は法律に触れないけれど、
来年には「秘密保護法」違反で犯罪扱いされているかもしれない。
もし今が昭和初期ならば、この程度の文章でも、ぼくは投獄され、拷問されているだろう。
おお~ 怖わ!
ぼくは「恩賜の短剣」は好きだ。
それが欲しくて猛勉強する青年たちがもっと好きだ。
ぼくも、あの時代に生きていたら、士官学校か兵学校を目指していただろう。
チェリーマークに憧れる一人だったろう。
そして、ソロモン沖で死んでいただろう。
そして今、英霊となって靖国神社で右翼団体の歌う「海ゆかば」を聴いていただろう。
「軍刀」というのは不思議な力がある。
魅力と言ってもいい。
ぼくの前の「恩賜の短剣」は様々なことをぼくに伝えてくれた。