成岩城の戦い
『はんだ郷土史だより』1月号で成岩城と成岩城(ならわ・じょう)の戦いを紹介した。
この記事を書くため取材をしていて、ちょっと驚いた。地域の重要な歴史で誇りでもあるべき城の存在を意外なほど地元の人が知らなかったからだ。それも一般の人なら分かる。でも地域の名士や元教師も知らなかったのだ。
特に隠すことでもない。城跡には立派な「成岩城址」の石碑も建っている。これが地元に人に知られていないことのほうが不思議だ。
天文年間(1520~)は戦国時代の最中。成岩の村民は村を守るために城を建てた。しかし、城は建ったが城主はいない。そこで村民は他の地方から城主を呼んで来た。いわば城主を雇ったのだ。
これも面白い。まるで「七人の侍」の発想だ。
そしていよいよ戦である。
緒川の水野氏が半島制覇を狙い南下。砦を築き成岩村を攻めんとする。成岩村民は成岩城を築き籠城。両軍は神戸川を挟み一触即発の状態となった。
さあお立ち合い!
その結末は『はんだ郷土史だより』でどうぞ。