新美南吉の命日

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 きょう3月22日は新美南吉の命日。昭和18年(1943)没である。
 この前年頃より咽喉結核が悪化、南吉自身も死を覚悟していたようだ。病をおし、勇猛心を奮い立たせて書いた晩年の「狐」「いぼ」などはまことに心を打つ。
 ことに僕は「狐」が好きだ。どうといったことのない童話なのだが、読んでいて涙が出る。読むたびにそうだ。
 それは、彼の苦しい晩年の闘病生活を日記やハガキなどで窺い知っているからだろうが、命を懸けて書く文章の力は想像以上だ。

 死の少し前、安城高女の教え子の見舞があった。その答礼に南吉は次のような手紙を書いている。教師としての強がりも多少はあるが、死期を直前にしてかくも客観的に、また美しくも悲しい文章を書けるものだろうか。

 『たとひ僕の肉體はほろびても君達少數の人が(いくら少數にしろ)僕のことをながく憶えてゐて、美しいものを愛する心を育てて行つてくれるなら、僕は君達のその心にいつまでも生きてゐるのです』

 その南吉先生の想い(叫び)は、少なくとも僕の心の中には生きている。ことあるたびにこの一文を思い出す。

 きょう、新美南吉の命日。
 合掌

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