次郎長翁を知る会 ご一行
12日、次郎長翁を知る会ご一行が半田へ。清水次郎長が保下田の久六を討った所縁の地を見学。【写真】
西まさるがご案内した。
√時は安政6年6月は19日の昼下がりのことでございます。
亀崎村での相撲興行を終えた久六の一統7名は、肩を揺らして歩幅も広く、歩いて参ります。
先頭は久六、その後ろに2列縦隊で子分たち。縞の合羽に三度笠。侠客然たる道行であります。
一統は乙川村のはずれ、葦野畷と云われる葦が人の背丈まで生い茂る一帯に差し掛かります。今の半田大橋の近辺。その葦の野を貫くように細い道が一本。
さてその時。
その生い茂る葦の中に隠れている強者が4人。
清水次郎長、大政、森の石松、緒川の勝五郎であります。
久六一統が細道に・・
「てめえ! 久六!」
やぁ! とばかりに次郎長の長ドスが久六の腕に突き刺さる!
てな調子で次郎長と久六、乙川の決闘が始まったのであります。
あとはどうなった?
ぼくの本を買ってくださいな(笑い)。
せっかくですから、エピソードを一つご披露しましょう。
逃げる久六は乙川村の庄屋・杉浦善次郎邸に逃げ込んだ。【写真】
当時の庄屋家は村役場いわば公舎。次郎長も血刀を振り回して、のり込むわけにはいかない。役人もいる。
「久六! 出て来やがれ!」と門の外で叫ぶ。
久六は、怖いよ~、とばかり、庄屋家の柱にしがみつく。柱には久六の血糊がべったりと付いた。
その後、柱の血糊はいくら拭いても落ちなかった。
それから30年。
明治23年。日本初の陸海軍連合大演習がこの地方で行われることなった。明治天皇も半田に入り、臨時大本営も設営されることとなった。
半田地方の旧家名家は、それぞれ政府高官を民泊させることとなり、杉浦家には乃木希典中将(当時)が来ることになった。
しかし、杉浦家の柱には、いまだに久六の血糊が残る。
これでは乃木中将に失礼。杉浦家は一計を案じ、拭いても落ちない血糊の部分を切り取り、寄木細工のように新しい材木を埋め込んだ。
その細工の跡は写真のものだ。
次郎長が乃木大将と結びつく。歴史の面白さとはこれだろう。