浦島太郎がおったとさ

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 昔むかし 知多半島のふきの村に 浦島太郎がおったとさ
 太郎は亀を助け、助けた亀が太郎を背負って 竜宮城に連れていったとさ
 竜宮への入口は ふきの浜の沖にあって そこを四海波と呼んでいたとさ
 竜宮城には それは美しい吉永小百合のような乙姫さまがいて 太郎を歓待してくれたとさ
 太郎は喜んで まるで西まさるが酔っ払ったような顔で3年を過ごしたとさ

 そして太郎は・・・・・

 というお馴染みのお伽話の舞台が武豊町である。それも最近、ねつ造した話ではなさそうだ。天保年間の古地図に「浦島屋敷」や「浦之嶋」があったり、大正末期にできた名鉄河和線の駅に「浦島駅」や「四海波海岸駅」があった。昔々から伝説はあったようだ。
 現在、富貴(ふき)という大きな町も、以前は負亀(ふき=亀に負われ)と書いたという説もある。
 ともあれお伽話の舞台になって嫌なことは何もない。
 みんなで、「昔むかし、ここに浦島太郎が住んでいたとさ」
と言えばいい。みんな笑顔になるだろう。

 先日、Step誌の「にしさんぽ」の取材で久しぶりに浦島伝説の史跡を一回りした。かつて乙姫さまのように美しかった人と一緒にである。
 写真は「亀の墓」。看板のすぐ下の小さな墓がそれ。
 もう一つの写真は「乙姫橋」。そこに佇む人は乙姫さまでなく、かつて乙女だった人(爆笑を)。

 では、そろそろ玉手箱を開けるとするか。さてお立ち会い!

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