知多半島は全国有数の陰陽師の郷

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 拙書『吉原はこうしてつくられた』(新葉館出版)で新吉原遊郭をつくった主導者の一人が陰陽師・土御門家だと書いた。そして、知多半島は全国有数の陰陽師の郷だと書いた。
 言うまでもなく、私が思い込みで書いたものではなく、ちゃんとした資料や史実に基づいたものだ。その点は自信を持っている。

 しかし、これを読んだ知多半島の多くの人は拒否反応を示しているようだ。あるいは反応をあえて表さず無関心を装っている・・・ように見える。
 なぜだろう。
 陰陽師は優秀な頭脳をもち、代々続く経験値に培われた学識と分析力により「博士」と呼ばれる人たちだ。秀でた天文学、地理学。高い建築土木技術もある。
 そんな陰陽師たちが秀吉によって京や畿内から追われ、木曾三川の下流域に。そして知多半島北部一帯に住むようになったのだ。
 そこで集落をつくった陰陽師たちは、いつか周辺の土着の村々と一緒になり、やがて指導的な立場になっていったのは当然の流れであろう。新田開発、尾張万歳、黒鍬衆。そこにははっきりと陰陽師の顔が見える。影ではない顔である。
 そして陰陽師は各村々、多くの村人と共生し、地域に革新的な知識や技術を伝え、知多半島繁栄の一端を担ったのである。

 妙に小難しく書いてしまったが、「陰陽師は凄い知識人なのだ」「陰陽師は知多の村々に貢献したのだ」「陰陽師は怖い人ではない」。
 そう力説したいのだ。

○写真は尾張国の陰陽師組織。知多郡北部に集中。
○今も知多市にある陰陽師だけの神道墓所。広い墓所だ。

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