知多半島は天領だった
半田市民憲章講演会に呼んでいただき「知多半島はふしぎな国だった」を講演した。150席が満席。立ち見が出た。嬉しい、ありがたいことだ。
「知多郡は地理的には尾張国だが行政的には違う。尾張藩札も使えない幕府直轄地。つまり家康の国なのだ」
と再々、あちこちで話してきた。
どこで話しても、どうも反応が悪かった。つまり知多半島の人(半田の人は特に)は、「ここは尾張名古屋の支配下にある」と思い込んでいたようだ。だから、ぼくの論説には冷たかった。
相当に物的証拠を示しても信用したくない、ようだった。
ぼくは知多半島が尾張国だろうが三河国だろうが、幕府直轄地だろうが構わない。どうぞお好きに、と言いたいとさえ思っていた。
ところが今回の講演会は反応が違った。ご聴衆の多くが頷いている。頷いているのだ。
どうもぼくは良い気持ちになって、ノっていたようだ。
妻の優子は「今日の講演はここ数年で一番良かったよ」と言う。
ともかくぼくの主張(調査)が通用してよかった。
「知多半島は家康の国、つまり天領なのである~っ!」。