謹賀新年

ファイル 318-1.jpgファイル 318-2.jpg

 平成28年の年明けです。
 皆さま、明けましておめでとうございます。
 はんだ郷土史研究会は創立12年目となります。その間、毎月の例会『ふるさと講座』。隔月発行の『はんだ郷土史だより』を1回も欠かさず開催・刊行できたことが何よりの誇りでしょうか。
 どこまで続けられるかはスタッフ次第。みなさまの激励次第と思います。がんばります。

 スタッフの中心、幹事さんも、毎月の幹事会は欠かさず出席、会の運営や企画にがんばっています。この幹事会も創立以来、休会はありません。小生の緊急の入院時も蟹江会長が臨時幹事会を招集、さらに強い結束を促す素早い対応をされ、事なきを得た。

 さて正月。わが輩は病後のことゆえ、例年のように底なしの酒は飲めず。発泡酒2本だけの元旦。寂しい限りだ。酒がないとご馳走も進まない。雑煮でもすすって寝正月とするにした。
 せめて写真だけでも「1月の料理」を掲出しておく。四條流家元・入口氏の作品だ。
 おとなりは、粥をすする若侍。スギウラフミアキ氏の作品。拙書『忠臣蔵と江戸の食べもの話』の表紙絵に使ったもの。

 浅野内匠頭と吉良上野介の殿中刃傷沙汰の日。
 切腹の刻を待つ間、浅野は「出された一汁五菜の膳を断り、粥を所望した。そして粥を二杯食すると桜の散る庭に静かに向かった」。
 浅野に討たれた吉良の傷は意外と深かった。医者は吉良に元気をつけるため粥を食べさせた。吉良は粥を二杯食すると、少し元気を取り戻した」。
 
 なぜ二人とも粥なのか。なぜ二杯なのか。
 そんな質問が拙書を読んだ人からあった。
 なぜ、粥? 「江戸時代は炊飯器もジャーもない。炊いためしは冷えたらそのまま冷や飯に。そして、身分の高い人は冷や飯を喰わない。だから湯付けにする」。
 なぜ、二杯か? 「一杯は下品。一膳飯は下品。だから無理にでも二杯食べた(食べたことにした)」。

 これが江戸の食べ物事情。なかなか面白い。詳しくは『忠臣蔵と江戸の食べもの話』に。

 本年もよろしくお願いいたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です