追憶は常に甘美
パソコンの古い写真を整理していたら掲載の小さな写真が出てきた。
反射的に昭和40年代のぼくが現れた。
東京、駒込のアパート。四畳半一間。古い木造アパートだが、そこには夢見る青年が棲んでいた。
夢はいっぱいだが、腹はぺこぺこ。
心意気はきれいで清々しいが、着衣は真っ黒で垢まみれ。
そんなアパートに、時々誰かが鶏肉と野菜を持って来て、安酒の酒盛りが始まったものだ。
国を憂い、天下を語り、安酒と己の思想に酔って、あたりかまず高歌放吟が常だった。
どんな歌を歌った?
「インターナショナル」に決まっている!
共同の洗面所の窓から富士山がきれいに見えるアパートだった。
毎朝、歯を磨きながら富士山を見るのが好きだった。
「富士山のようになろう!」なんて、大胆なことは考えもしなかったが、なぜか若いぼくに力を与えてくれる風景だった。
熱を出して寝ていたことがあった。
そのむさくるしい四畳半に女の子が訪ねてくれた。
見舞いに黄色い花を持ってきてくれた。
その花の名が、フリージャーだということを後で知った。
ぼくの部屋に初めて花が活けられた。
ああ、追憶は常に甘美。