鈴渓の里めぐり 野外講座
明治初期、知多郡小鈴谷村に鈴渓義塾という私塾があった。
高等小学校の前身だが、「知多の最高学府」といわれるほどの高レベルの教育で多くの全国的な偉人を輩出した。
どんな人がどんな仕事をしたかは当ブログの既報やネットでご検索願いたい。
6月21日、名鉄カルチャースクール+はんだ郷土史研究会の野外講座で同地を訪問した。マイクロバスの定員一杯の27名が参加、この〝ふしぎな学校〟を探求である。
資料室は小鈴谷小学校内にある。
最初の写真。ご説明くださるのは同校校長先生。
特筆すべきは資料の整理と保管。きちんと分類し、桐の箱に保管。箱は50コもあろうか。
ここまで丁寧にやっていれば後世に貴重な資料が残る。あっぱれ! と言いたい。
盛田(株)に移動。ここが「鈴渓義塾」のあった跡地。11代当主盛田命祺が塾の産みの親。この人の存在がなければ、知多半島からこんな多くの偉材を出せなかった。【陶製の胸像が建つ】
ちなみに、ソニーの創業者・盛田昭夫はこの家の15代当主。
常滑市内に移動。明治初期の船主、伊藤嘉蔵邸を訪問。
明治2年建築の古民家、船長の家は趣が深い。
現在は閉鎖しているが、現家主の森下高行氏のご厚意で内部も見学させていただく。
写真は2階部分の天井。船底のような造りになっている。古民家ファンには垂涎の建物だ。
この伊藤家や船会社も鈴渓義塾と関係が深い。
明治初期の知多半島の経済的、文化的地盤は鈴渓義塾が造ったといっても過言ではなさそうだ。