難破船と漂流民
最近、難破船と漂流民にはまっている。妙なものにはまるのが僕の悪い癖で、また、「熱しやすく覚めにくい」から始末の悪い性質だ。
ことの起こりは知多半島沖で千石船がどれくらい難破しているのだろう― を調べ出してからだ。
難破は主に江戸後期。営利主義に走る人たちが船の安全性より積載量や運送効率を追求したことに始まる。(この話は今度のふるさと講座でする)
一本マストの千石船は風任せ。風のご機嫌が悪ければ、すぐ前に見える陸地を横目に、船はどんどん沖へ沖へと流される。
暴風雨となると船はまず帆を降ろし、積荷を捨てる。船を軽くするのだ。それでも駄目なら帆柱を切る。船の重心を安定させるのだ。この場面で舵(7、8米はある)はほとんど波で破壊されている。したがって船は完全に人の手ではコントロールできなくなっている。
そして船員たちに残された、たった一つの作業は、祈ることである。(この続きは今度のふるさと講座で)
そして制御を失った千石船の中で、天に祈りの通じたごく僅かのものだけが漂流民となる。しかしこれもまた地獄の様相…
この続きは今度のふるさと講座で。
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【写真】難破寸前の千石船=南知多郷土資料館
【写真】500石級の船の舵。千石船なら倍近い