鶴見俊輔を追悼する
鶴見俊輔が死んだ。
死亡記事を新聞で読みながら、何かひと時代が終ったような気がした。
鶴見俊輔に影響を受けた世代は少なくなっている。新聞記事だって3面のベタ記事。そんなクラスの人ではなかったのだが、もう、存在感すらなくなっているようだ。
確か、平成になってすぐの頃、ぼくは初めて鶴見氏に会った。某雑誌の対談で、ぼくが司会役だった。ぼくにとって氏は学生時代から影響を受けた(納得もし、敵性も感じた)一種のカリスマだった。
早口で、自説を曲げず、時々司会のぼくにも食って掛かる、そんな人だった。
それから数年後、京都で会う機会があった。
酒を飲みながら、
「老人は 死んでください 国のため」
という時事川柳の話をした。鶴見氏は、この川柳をベタ褒めした。
鶴見氏の紹介で多田道太郎を知った。
多田氏とも京都で飲むことになった。待ち合わせは京大前の古書店。料理屋を予約しているのに、なかなか古書店を出ようとしなかった。古書店の棚がよく似合っていた。
良い酒だった。「酒は控えている」と言いながら飲んでいた。鶴見氏とは対照的な温厚な人だった。
「酒は控えているがもう一杯 ウフフ」てな感じで、フランス文学と日本文学の共通性などという話をしていた。
もう一人、思い出した。
小田実だ。
小田氏の西宮の事務所へお邪魔した時のことだ。
ぼくは、駅前で「赤い羽根」を勧められたので、募金をして、胸に赤い羽根をつけてもらっていた。
「募金をしたのか」と小田氏。
「はい」とぼく。
「いくら出したんや」
「100円です」
「それは募金やない。偽善や。募金をするのなら、自分が痛いと思うほどの金を出して初めて募金や。助け合いをするのなら、そんな覚悟がいる」。
滔々と説教というか、教訓というか、いい言葉をもらった。今でも募金箱を見ると小田氏の言葉を思い出す。
痛いと思える金額はいくらだろう・・と、その後考えた。5000円くらいだろうか。
とてもとても、そんな金を道端の募金箱に放り込む勇気はない。
鶴見俊輔が死んだ。多田道太郎も小田実も、とうに黄泉の人。
日本の一つのしっかりとした骨だった人たちだ。
反体制を哲学として話せる鶴見俊輔、多田道太郎。形振りかまわず実践する小田実。
彼らとともに、日本の元気な思想家たち、リベラルな思想が死なないことを願うしかない。
日本を代表する思想家の死を追悼する。