黒鍬衆の供養 南木曽の長延寺訪問

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 明治37年(1908)5月2日夕刻7時半ごろ、信州・南木曽の大平峠で大規模な山崩れがあった。今でいう土石流である。
 大平峠に沿う大平街道の拡幅工事に従事していた300人とも700人ともいわれる人が山崩れに遭遇、そのうち22名が即死した。
 22名のうち、知多半島(名古屋も含む)の黒鍬者(土木労働者)が12名いた。時は日露戦争の最中、さらに交通事情も悪く、その遺体は1体だけが帰郷、残りは南木曽に埋葬された。
埋葬場所も定かでない。

それから105年。
忘れられていた11名の供養に、はんだ郷土史研究会がその命日、5月2日に参上した。

バスで43名。105年ぶりの墓参である。
その内、一組は本当のご遺族、知多市の蟹井さんも。

快晴。
長延寺自慢のしだれ桜は散って1週間というが、新緑は鮮やか。
黒鍬衆! どうかね、安らかに眠っていますかね。

あなたたちを思い出して、遠路、知多半島から来た〝物好き〟たちだよ。
地酒を持って来たから、一杯やってください。

では、また来るね。

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