犀川暮色
「ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたふもの…」
偶然、わがふるさと金沢の犀川の写真が出てきた。
手が止まってしまう。
まさに遠くにあるふるさとである。
この写真は犀川大橋から犀川の上流をみたものだ。
「弁当忘れても傘忘れるな」の諺のある町。いつも曇天である。
小学校の頃、ぼくは学校の帰り、いつもこの場所からこの風景を眺めていた。
寒い頃、川では友禅流しが行われていた。長く、長く川面に伸びる加賀友禅の揺れをしばらく見ていた。
どんな作業かも知らず、何となく美しい水の流れと、そこに泳ぐように揺れる反物を見ていた。
春先にはウグイの大群が泳ぐ。長い時間、飽きずにウグイの泳ぐのを見ていた。
たった今、気がついた。
小学校の帰り、ぼくは家にまっすぐ帰らず、いつも犀川大橋の上に留まり、川の流れや、川上の遥か遠く、雪をいただく医王山を見ていたその理由を。
ぼくは地元の小学校ではなく、国立の小学校に通っていた。
バスにも乗ったが、帰りはたいがい歩いていた。早く帰っても、家の近所に友達は誰もいなかったからだ。もっと言えば、近所の子どもたちが仲良く遊ぶ輪に近づきたくない気持ちもあったのかもしれない。
たった今、気がついたが、小学生のぼくは淋しかったのだ。
犀川は淋しいぼくを慰めてくれた。
美しい加賀友禅の流れ、ウグイの泳ぎ、夏の陽の川面の輝き。そんな風景がぼくを慰めてくれていたのだ。
橋の袂に「看板屋」さんがあって、いつも字や絵を描いていた。当たり前だがうまかった。ぼくは飽きずに絵の完成まで見ていた。
もう一つの袂に雨宝院がある。室生犀星が幼年期に育った寺だ。
今も小さな寺。昔も今のままだった記憶。子どもが遊ぶスペースもない境内だ。
小学校で既に犀星を習っていたのだろう、この寺の前を通りたびに、「杏っ子」や「あにいもうと」をぼんやりと思ったものだ。
ぼくは犀星の良い読者ではない。
犀星は憎らしい。それはぼくの大切な心を詩にしてしまっているからだ。
「よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて 遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや」。
犀星もこの犀川の風景を思い、この詩を書いた…。