銘酒「天山」到着

中島飛行機半田製作所の最高責任者だった藤森正巳氏のご子息には大変お世話になっている。この方のご協力がなければ拙書『中島飛行機の終戦』も上梓できなかったし、ご提供いただいた多くの資料、例えば映画『制空』なども皆さまにご披露することもできなかった。大恩人である。

その藤森さんから電話。「知り合いの酒屋を覗いたら『天山』という酒があった。天山は親爺の造っていた飛行機だ。何か嬉しくなったから、西さんに1本送ったよ」。

翌日『天山』到着。〝超辛口〟〝男の酒〟と銘打っている。ほ~っ、なるほど。

 

艦上攻撃機『天山』は中島飛行機半田製作所の主力機。昭和18年12月に一番機を製造以来、終戦までに977機を製造、レーダー装置も搭載して夜間作戦にも対応できる高性能を誇る海軍の花形機だった。

操縦席前にアンテナが。レーダー装置があった。

天山のパイロットだった榊原氏(立場の微妙な方なので名は伏せる)が、ぼくにこの写真をくださった。空母「瑞鶴」の艦上である。添え書きも榊原氏本人が記入したもの。「榊原機」は影のようにしか見えないが、戦場での『天山』が映っている貴重な写真だ。

この日本海軍最後の大型空母「瑞鶴」は昭和19年10月25日、レイテ沖海戦で激しい被爆を受け、沈没した。その艦上にいた『天山』も空母と運命を共にしたのだろう。

銘酒『天山』を呑んだ。超辛口だった。

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