家康伊賀越え後、なぜか「知多とばし」で三河へ

5月例会は80名を超える盛況。参加者の多くは「神君伊賀越えの後、白子から船で知多半島の常滑か大野に上陸。そして陸路、半田成岩の常楽寺で一泊。翌日、対岸の三河大浜に渡り、岡崎へ帰った」はずなのに、来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、「白子から船で知多半島を迂回して大浜に行った」ことになっているらしい。

何の因果で「知多とばし」。

おかしい! と今回は千賀哲郎氏が「家康伊賀越え後 大野上陸説の検証」をした。

壇上は千賀氏

論旨は「はんだ郷土史だより」5月号に論文として掲載しているが、端的に急所だけ述べると、「大野の東龍寺は家康の従兄弟。そこに家康が来て休息。軍用金を借りて、東龍寺の住職で従兄弟の洞山上人と一緒に半田・成岩の常楽寺へ。常楽寺の典空顕朗上人はやはり家康の従兄弟。ここで一泊。翌日、成岩の浜から対岸の大浜に渡った」。そしてこの史実は、両寺の古文書に明確に記録されているものだ。

千賀講演の後、藤本哲史氏(日本福祉大学非常勤講師)が登壇、「家康の伊賀越え後の大野上陸は間違いない。さらに『三河海東記』にその記載も発見した」と述べた。

壇上は藤本氏。右は千賀氏と西まさる

両氏の論説はどれもエビデンスのあるもの。それを無視し、何のエビデンスのない「知多とばし」をするとは歴史を曲げることと同じだ。

「どうするNHK」!。

 

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