昭和東南海地震ー隠された大地震の実体験

 昭和東南海地震直後。煙突は中島飛行機山方工場

昭和19年12月7日の東南海地震、その翌月の20年1月13日の三河地震。戦時下で起きたこの二つの地震は軍部によりひた隠しに隠されて「被害は軽微」とされていた。

そんなことはない。半田だけで死者200人、愛知・三重で死者3,500人、家屋全壊は20,000軒を超えている。

その実態を知ろうと当会は2005年に老人会の協力を得て、アンケートを実施した。140通の回答があった。どれも生々しい実体験の記載だった。しかし、アンケートは東南海地震と三河地震の混同が多くみられ、学術的には問題があるのかな、などと思い、もう一度、二つの地震の区別をしっかりとしてアンケートをやり直そうとしていた。

そうこうしているうちに東北大震災が勃発。このアンケートはお蔵入りだった。

ところがこの3月31日に中日新聞さんがこれを採り上げてくれた。それも1面と33面。33面は7段抜きの大きな記事だ。この反響が凄かった。当会事務局は電話や手紙が10件以上、それの驚いたことに中日新聞さんへも手紙やメールが多く寄せられたことだ。

中日新聞・令和3年3月31日朝刊

その内容は「私の体験も話したい」がほとんど。

ならば、この4月例会(4月18日アイプラザ半田)は緊急企画だ。

【戦時下、秘匿されていた地震の実態を知る】

昭和東南海地震の体験談=会場からの発言 「中日新聞をみた。私も体験者!」の声を受けての緊急企画

とします。ぜひおいでください。

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